日本におけるフラメンコの歴史 【ルーツを知るとさらに好きになる】

フラメンコの歴史

日本におけるフラメンコの歴史 【ルーツを知るとさらに好きになる】

現在6~7万人と言われる日本のフラメンコ人口。スペインに次いで第二位のフラメンコ大国です。この日本におけるフラメンコはどうやって始まったのでしょう。今回は今わかっている範囲での日本におけるフラメンコの歴史を探っていきたいと思います。

実はこの記事がこのサイトでの50記事目の記念の記事となります。

コツコツ書き綴っています。今後もよろしくお願いします。

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日本におけるフラメンコの歴史1 入ってきた時期

フラメンコのスペイン国外流出のきっかけ

今から200年余り前の18世紀後半の頃スペインでフラメンコの原型が作られたようですが、日本に入ってきたのは今から約100年ほど前の1910年ごろ、スペインのフラメンコを聴きながらお酒などを飲むお店カフェ カンタンテがフラメンコ以外の娯楽の出現によってスペイン国内で衰退し、アーティストが海外に出てくるようになってからだといわれています。

日本に来た最初のフラメンコアーティスト

昭和元年ごろからちらほら来日がはじまり、

  • 昭和4年(1929)フラメンコ舞踏家、ラ・アルヘンティニータ来日
  • 昭和7年(1932)フラメンコギター演奏家、カルロス・モントヤ来日

が来日し、それをきっかけにレコード輸入が増えていったようです。

昭和4年(1929)はニューヨークウォール街で株式が暴落したのを機に、世界を襲った世界大恐慌の時代です。そのような情勢がフラメンコの持つ独特の雰囲気と相まって日本で広まっていったのではないでしょか

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日本におけるフラメンコの歴史2 日本人が海外へ

  • 河上鈴子 (舞踊家)生年明治35(1902年7月14日~昭和63(1988年2月11日)
  • 勝田保世 (ギター) 生年明治39(1907-1978 年)

といった明治初頭生まれの音楽家がシベリア 鉄道で一ヵ月かけてスペインにはいり、現地に骨をうめる覚悟で研贊を積み、のちに日本へ帰国。後進の指導を務めた。

勝田保世先生は30 年代から 40 年代にかけて、スペイン内戦と第2次世界大戦の最中に本場のフラメンコを体験した稀有な人物。

このような先達のおかげで初期の日本フラメンコ界は日本人にわかりやすい感覚でフラメンコを収得できるようになりました。

私の通っているお教室のオーナーもギターさんで日本フラメンコ初期の頃、1か月の船旅を決死の決行してスペインへ渡って修行されてきたのですが、そのお話を聞くたびに今の日本のフラメンコを作ってくださってありがたいなあ、と思うのです

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日本におけるフラメンコの歴史3 タブラオ

スペインのタブラオ

1950年代ら1960年代になると、スペインに食事をしながらフラメンコが見れるタブラオが登場します。タブラオとは板張りの舞台の事。これによって今のフラメンコの形が作られ一般的にこの時代を【フラメンコのルネサンス時代】と呼んでいます。

日本のタブラオ

日本でも10年ほど遅れてタブラオが出現。今現在現存する日本最古のタブラオは1962(昭和37)年創業の「CASA ARTISTA」(当初新大久保にあったのがビルの老朽化によって四谷・荒木町に移転)

これをきっかけに、日本のフラメンコが大きく飛躍していきます。

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日本におけるフラメンコの歴史 4 映画「カルメン」

1982年にフラメンコ映画「カルメン」が公開され日本にフラメンコブームが起こります。

メリメ原作=ビゼー作曲のオペラ『カルメン』を材に取って、現代のスぺインを舞台に『カルメン』ミュージカル化上演を目ざし稽古に励むフラメンコ舞踊団の内部の人間模様とオペラ『カルメン』を交錯させて描く

  • 製作 エミリアーノ・ピエドラ
  • 監督 カルロス・サウラ「血の婚礼」(81)「アントニエタ」(82)
  • 脚本・振付 アントニオ・ガデス、世界的なフラメンコ・ダンサーである
  • 撮影 テオ・エスカミーリャ
  • 音楽  パコ・デ・ルシア  フラメンコ・ギターの第一人者

丁度私の先生方の世代ががこの映画を見てフラメンコを始めたという話をされます。

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日本におけるフラメンコの歴史 5 日本フラメンコの衰退

上記のように日本中にフラメンコブームが起き常磐津勝蔵氏の娘で俳優 菅原謙次氏の妹 小松原庸子さんの出現により一世を風靡したフラメンコも、2000年ごろをピークに一時衰退、次々とタブラオの閉店が起こりました。

大阪では私がフラメンコを始めた2010年前後はそれらも落ち着き、大阪に常設のタブラオがほぼ無いといった状態でした。唯一、私が通っているスタジオが月に2回タブラオを開催していましたが、今は1回になっています。そののち、心斎橋難波に帝塚山スタジオの市川恵子先生がタブラオ「ミ ヴィダ」を開店。大阪フラメンコ界の希望であこがれのタブラオとして今、運営されいています。私も昨年初めて踊らせていただきましたが、観客だけでなく出演者の気持ちも高揚させるようなタブラオです。

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日本におけるフラメンコの歴史5 ソロが中心のフラメンコが増えた

フラメンコブームの時はカルチャーセンターでも定員オーバーでキャンセル待ちという人気の講座だった為、フラメンコの発表会は大人数での群舞が中心でした。それが紆余曲折を超えて今、ライブという形で練習生にも本来のフラメンコの形であるソロで踊る機会が増えてきました。

フラメンコは本来構成など決まっておらず、唄とギターと踊り手がセッションすることで出来上がっています。ソロのライブではそのセッションを楽しむことが出来ます。

そのセッションを楽しむためには様々な練習と知識がいるわけですが、ここ10年で情報収集がしやすくなりました。よくよく考えれば本当に良い時代です。

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日本におけるフラメンコの歴史【ルーツを知るとさらに好きになる】 まとめ

フラメンコは生きた芸術です。本場スペインでは毎年フラメンコの新曲が何十曲と発表され続け進化し続けています。日本のフラメンコもインターネットが普及したことにより、本場のフラメンコがダイレクトに入ってくるようになり以前は1・2年のタイムラグがあったのが解消されました。

この先、フラメンコがどのような進化を遂げるのか想像は尽きませんが根本に流れるヒターノ(ジプシー)のフラメンコ精神を大切に守りながらフラメンコに接していけたらと思います。

フラメンコの歴史については以下の記事でも紹介しています

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